Knowledge Sharing No.1 2024年10月発行 紹介した症例は臨床症状の一部を紹介したもので,
全ての症例が同様な結果を示すわけではありません。

つくしの会『JAPFA・T』水谷嗣さん/堀越晶子さん

患者家族としての思い

― はじめに,軟骨無形成症(achondroplasia:ACH)を知ったきっかけを教えてください。

水谷さん

今から40年前になります。娘が生まれて,出生時は「少し体が小さいかな」と先生に言われたものの,成長していくうちに平均的な大きさになるだろうというお話でした。ところが6ヵ月健診のときに手足が短いことを指摘され,大学病院を紹介されたのです。そこで「軟骨異栄養症」という病名を告げられました。「どういう病気なのか」と先生に聞くと,「“小人プロレス”をご存じですか?将来はあのような体形になります」との回答でした。当時は治療法もなく原因もわからなかったので,小学校に上がるまでは病院にも来なくていいと言われ,どうやってこの子を育てていけばいいのかと途方にくれました。

堀越さん

私は娘を出産した34年前です。妊娠6ヵ月後半のとき,当時かかっていた産婦人科の先生に羊水検査をするよう言われたんです。理由を尋ねてもただ「検査を受けなさい」と言われるばかりで何も情報がありませんでした。夫は「心配することはない」,大学病院の検査技師長の従妹は「22週目以降の検査は胎児のことを考えると自分はしない」と言い,そのまま検査を受けずに九州で里帰り出産をしました。出産後に大きな病院の小児科を紹介され,そこで「軟骨形成不全」と診断されました。どういう病気か尋ねると,小人プロレスを例に挙げられ,分厚い十数冊の医学書を見せられて説明を受けました。夫は医師と2人で長時間話し「心配ない」と,今もってその内容は話してくれません。

― 当時は何も情報がなかったのですね。子育てをしていくなかで印象に残っている出来事はありますか。

堀越さん

一番衝撃的だったのは,娘が小さい頃,青梅へピクニックに行ったのですが,その場にいたある家族が,傍を走っていく娘の姿を見て「ほら,見てごらん」というように露骨に指をさしていたことです。カーッとなって「何が面白いんだろう」と言い放ったら,夫は「きっとうちの子が可愛いから見ているんでしょう」と言いました。人から何か言われてもそのまま反応するなということですね。悔しいけれど,このときは年下の夫に教えられたなと思いました。

水谷さん

すべての患児,家族,親は,この「他人にじろじろ見られる」ことに対してやり切れない複雑な思いを抱えています。私もやっぱり親ですから,娘が小学生の頃,同じ学校の男児数人が娘に指をさして笑っているのを見てカッとなって注意しようとしたことがあります。でも「いや,あの子たちの感覚は普通なんだ。だからあの子たちを責めたり注意したりすることはやめよう」と思いとどまりました。それで娘に聞いたんです。「あの子たちはおまえを見て指をさしたけども,それは問題じゃないのか」って。そしたら「クラスメイトや友達は自分とのいろいろな関係,つながりがあるからいいけど,知らない人に指さされるとやっぱりつらい」と言っていました。考えても仕方がない問題だけれど,これをどう捉えて生きていくか。親としては非常につらいですが,患者側の捉え方と一般人の捉え方の違いを理解することが大事だと思います。

堀越さん

捉え方といえば,娘から学んだことがあります。娘が小学4年生のとき,ホームセンターで犬を見ていたら,傍にいたある親子が何度も娘に指をさしていました。いったん離れていったけど,戻ってきてまた娘に指をさしている。見かねて「あなた何やってるの,待ちなさい」と声をかけると,突然娘が怒りだしました。「あの子は私を見て,どこかに私と同じ人がいたらこういうふうに助けてあげたらいいんだなって,そのために私を見ているのかもしれないでしょう」と言うんです。もうびっくりしました。ところが,中学3年生になると捉え方が逆転しまして,「もう嫌だ,外を歩いているとみんなが見る」と言っていましたが。捉え方もそのときそのときで変わっていきますよね。

水谷さん

そうですね。だから一番簡単で的確な助言をいうと,やっぱり「個性」というふうに捉えることですよね。「それはその子の個性だよ」と。世間の好奇の目に対して,時にはやりきれない感情が出てきますが,それを1つ1つ解決していく一番の方法は,自分の個性だと捉えることです。そう思えば,その個性を生かしていくことが自分の人生なんだと気づくはずです。ACHが自分の子どもの個性だということをまず親が認めてあげると,広く大きな意味で子どもの将来も考えられるようになるんです。

つくしの会との出会い

― 患者会の存在はどのようにして知ったのですか。

水谷さん

先生には,小学生になるまでもう病院には来なくていいと言われ,どうやってわが子を育てたらいいのか妻と模索していました。そんなとき市の広報誌でACHの子どもの集まりがあるということを知りました。当日会場に行くと4人のお子さんがいて,背丈を見ると3,4歳くらいなんですが,年齢を聞いたら小学4,5年生の子たちだったんです。それで,自分の子どももこの子たちのように育つのだなと実感しました。私もまだ自分の子どもがどう成長するのか何もわからない時期だったので,会場で初めて自分の子ども以外のACHの子どもたちを見て,ACHでも元気に生活することができるんだと安心したのを覚えています。やっと自分の子どもの現実を見ることができて,救われた気持ちがありました。

堀越さん

私は里帰り出産をしていたものですから,娘が誕生した北九州の病院ですでに「軟骨無形成症(ACH)」と診断されていました。東京に戻ってきて保健所の新生児健診を受けたときに,保健師さんにつくしの会を紹介されたのがきっかけです。その後,当時の防衛医科大学校の整形外科部長だった先生によって確定診断,「将来の心配は無用」と言われ,その後つくしの会に入会しました。最初は役員会の手伝いに呼ばれ,その席で当時の広報部長だった方に誘われたことをきっかけに夫婦で役員となり,現在に至ります。

つくしの会東京支部会
写真1つくしの会東京支部会

(つくしの会ご提供)

総会の保育(久しぶりのお友達)
写真2総会の保育(久しぶりのお友達)

(つくしの会ご提供)

コミュニケーションで信頼関係を築く

― 本誌は医療従事者の方々へ配布する冊子です。医療従事者の皆さんに知ってほしいことはありますか。

堀越さん

患者側の立場としてはコミュニケーションがうまくとれているのかどうかという不安は常にあります。患者さんのなかには先生や看護師さん,検査技師さんとうまくコミュニケーションがとれず自暴自棄になる方もいます。先生もちゃんと説明してくださっていると思うのですが,こちらは医療用語をちゃんと理解できなかったりするので,優しく説明してほしいと思います。

逆に言葉で励まされる場合もあります。ACHは患者自体が少ないので,なかには,「教科書では学びましたが,あなたが初めてお会いした患者さんです。一緒にACHに向かい合いましょう」と言ってくださる先生もいて,自分の子どものACHに真摯に向かい合ってくれていると感じたという会員の声も聞きました。

水谷さん

われわれの時代はACHについてわからないことも多かったので,「患者が先生を育てる」という考えがありました。そうすると,もちろん先生と衝突することもあります。けれども,互いに本音でぶつかればおのずと信頼関係ができていくんです。それが昔のやり方でした。今は情報があふれていますから,先生に「ここがわからないので調べてください」とお願いすると丁寧に調べてくれます。そうやってお互いにコミュニケーションをとっていき,信頼関係を築いていくという新しい時代に入ったなと個人的には思いますね。

堀越さん

過去に激しく意見をぶつけ合った先生もいましたが,10年以上経ちご異動されるときにはじめて本音を言ってくれたこともありました。「先生,あのときこうだったよね」,「そうだったね」と言いながらお互いが歩み寄れる時期もやって来るんです。だから,患者側も診察のときに受け身の姿勢でいるのではなく,わからないところはメモをしてちゃんと先生に聞いていくのが大事かなと思います。時には,嫌われてもいいから先生にしがみつくくらいの気持ちでコミュニケーションをとっていってほしいですね。

― 患者さん側もコミュニケーションをとるための姿勢が必要で,それを先生はしっかりと受けとめるというのがコミュニケーションの形として一番理想ですね。

水谷さん

患者側にその姿勢が少ないがために,先生としても時間で区切って話してしまう。結局,有意義な話ができず患者側は先生の対応に不満をもち,そして溝ができていってしまう。でもそれは患者側の問題なんです。限られた時間のなかでも,患者側が自分の病気に向き合って,ノートをとったり質問を考えたりして対策していく。そういったことをやっていけば先生とコミュニケーションもとれるし,短い時間でも有意義な話ができると思います。

軟骨無形成症の現実と未来を考える

― 患者会が抱える問題について教えていただけますか。

水谷さん

活動をしていくうちにさまざまな問題にぶつかりましたが,なかでも「社会問題」は大変でした。成人して就職するとなると,やっぱり見た目は障害者になってしまうんです。それで会社から障害者手帳の取得を勧められるんですが,背が小さい,手足が短いだけでは手帳はもらえません。判定医や行政と患者側では捉え方の違いがあって,例えば,ACH患者は腕が短くて頭のてっぺんに指が届かない。だから頭を傾けて片側ずつ洗うしかないのですが,工夫して自分で洗えるなら認定できない,障害者ではないと判断されます。認定とのギャップを感じますね。

堀越さん

つくしの会としてはずっと障害者手帳の取得に取り組んでいます。2016年に厚生労働省から「ACHを障害者手帳の対象とする」という通達をもらいました。ただし条件が非常に厳しくて,ACHとしての認可がなかなか難しいのが現状です。そのため昔と同じように脊柱管狭窄症などほかの合併症で取得する人が相変わらず多くいます。でも,そうではなくてACHとして合併症を含め手帳を認めてほしいというのがわれわれの願いです。そのような取り組みにも今後力を入れていきたいですね。

水谷さん

もう1つ,「企業の制度」についてですが,これは当事者の問題だと思っています。

例えば障害者雇用ですが,制度で雇用されたとの思いでなく,権利で勝ち取ったとの思いで勤める。そこに双方の相乗作用効果をもたらすのではないでしょうか。逆に本人たちに,その意欲がなかったら雇用様式も変わりません。一社会人となって,制度に拘わらずとも自身の能力を発揮していくなかで無限の価値の広がりがあると思います。そうなっていかない限り雇用制度は変わらないと思われます。そうなっていく未来であってほしいと思います。「新しい前進」それは特別なことではありません。「新しい息吹」を発するところから始まります。

堀越さん

「軟骨無形成症の現実と未来を考える」というのが,つくしの会の掲げるスローガンです。過去のことも大事ですが,つくしの会としてはこれからも現実に直面している問題や,未来を予測して会員をサポートしていきたいですね。

患者の一生涯を見据えたサポートを

― 今後つくしの会はどのように発展していくのでしょうか。

水谷さん

以前は骨延長手術,または成長ホルモン治療で身長を伸ばしたいという気持ちが先行していました。確かに手術で15cm身長を伸ばせれば新しい世界が見えますよね。今まで手が届かなかったところに手が届くとか,車の運転だってできるようになる。このように,ACHの子どもにとって生活をしていくうえでの一番の妨げは身長だという凝り固まった考え方があったのです。ところが,当時まだ少年,少女だった子どもたちが成長し早年期,晩年期になり,今度はいろいろな合併症の問題が出てきました。そこで気づいたのが,彼らはすでに自分の人生のなかで手足が短いこと,低身長であることを精神的に乗り越えてきているんだということです。

そこでまだ克服できていない合併症のことを考えると,やはり身長を伸ばすだけではなくて,生まれてから亡くなるまでの間サポートが必要だということを発信していかなければならない。そこがつくしの会の一番の今後の課題ですね。

また,つくしの会には患者のグループと親のグループがあり,なかなか難しいけれども,それぞれがうまく調和できたときにつくしの会の一生涯を見据えた方向性が定まっていくのではないかなと思っています。

― 次世代に託していくということですね。

水谷さん

とにかく当事者は皆さん前向きですよ。親が心配するほど子どもは弱くない。親が子どものことを考えるのと同じように,子どもは親のことを考えているんです。当然,後に残されるのは自分だとわかっています。だとしたら親に心配させない,自立した自分になろうという思いがある。だから,みんな社会に出て頑張っていられるんです。

逆に子ども側からしたら,いつまでも子ども扱いしないでという思いもある。みんな成長していきますからね。だから今までは親が子どものために頑張ってきたけれども,これからは当事者が頑張っていく時代に入っていくのかなとも思っています。

堀越さん

近年になってACHの新しい治療薬が開発されましたね。私の娘は「よかったね。自分には間に合わなかったけれど,これでACHの子がいろいろと困らなくなるね」と言っていました。この言葉を聞いて,ポリオのある患者さんが「治療薬なんてできなければよい。それができたとしても成長期を過ぎた自分には間に合わない。最後のポリオ患者と呼ばれたくない」と嘆いていたことを思い出しました。最後の一人になる寂しさを表したこの言葉が今でも深く胸に残っています。今後も新たな治療薬が出てくるかと思いますが,薬が間に合わなかった成人患者の心にも寄り添えるようになりたいと思います。

また,つくしの会は2032年に50周年を迎えます。50周年は盛大な記念行事を計画しています。その頃までに現在の役員は役目を終え,新しい役員にバトンタッチして,さらに飛躍した患者会になるでしょう。そして,患者・家族を支えてくださる医療関係者の方々はもちろんですが,日頃お世話になっているいろいろな方たちとも祝杯をあげて,次の100年を目指していければと思っています。

※ 急性灰白髄炎。脊髄性小児麻痺とも呼ばれる。

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