Knowledge Sharing No.2 2025年2月発行 紹介した症例は臨床症状の一部を紹介したもので,
全ての症例が同様な結果を示すわけではありません。

軟骨無形成症と骨疾患低身長者の会つくしんぼ 中村博子さん/中村愛さん

― 軟骨無形成症(achondroplasia:ACH)を知ったきっかけを教えてください。

中村会長

1977年に娘が未熟児で生まれ,出産した病院の先生から大きな病院で検査を受けるように言われました。大阪市立小児保健センター(現 大阪市立総合医療センター)を受診し,そのときに「ACHという病気だろう」というお話があり,そこで初めてACHを知りました。ちゃんとした診断結果が出るのは1ヵ月後と言われて帰宅し,それからの1ヵ月は間違いであってほしいとすごく悩みました。ただ,診断がついてからは,受け入れるほかないですから,自然と「どう立ち向かっていこうか」という気持ちになっていきました。病院は月に1回受診していましたが,当時は治療法がなかったため,身長と体重,座高と手の長さを測って帰るだけでした。「どう立ち向かっていこうか」という気持ちに対する答えが得られず,むなしい気持ちが募っていきました。そんなときに患者会に出会ったのです。

― 患者会のことはどのようにお知りになったのですか。

中村会長

風邪などでかかっていた近所のかかりつけの小児科の先生が教えてくださいました。「こんなのあるよ」といって,低身長の子どもを持つ親の会「伸び伸びの会」が紹介されている新聞記事を見せてくださったのです。すぐに「行ってみます」と答え,1984年に数家族のみで活動されていた「伸び伸びの会」に参加しました。当時,そのなかにACHの部会がありましたが,そこの部会長さんがその役割を続けられないと言われたので,私が引き継ぐかたちになりましたが,1985年にACHの会である「つくしの会」の存在を知り,入会と同時に関西支部を立ち上げ,支部長を務めることになりました。人前で話すようなことは全く向いていなかったのですが,やる人がいなければそこで終わりになり,皆ばらばらになってしまいます。それだけは避けたいという思いがありました。その後,2001年に近畿圏の会員だけで,ACHおよび骨疾患低身長の会「つくしんぼ」を発足して現在に至ります。今は近畿圏だけでなく全国の方が入会されています。今までに関西の何名かの先生をつくしの会の本部に紹介することもありました。振り返ってみると,患者会の活動を続けて40年ということになります。

― 患者会に入られて,最初の頃はどのような活動をされていましたか。

中村会長

交流会として子どもたちを連れてお出かけをしたり,子ども同士を遊ばせたりしながら,並行してACHをちゃんと診ていただける先生を探しました。当時はACHという病気を知っている医師がほとんどおらず,手当たり次第に病院に電話をかけるしかありませんでした。そうして大阪大学医学部附属病院にかかっているときに,骨延長術のことを知り,まだ受けられる年齢ではありませんでしたが,将来的に役に立てばと安井夏生先生(現 徳島大学名誉教授)をお招きして勉強会をしていただいたり,成長ホルモン治療もまだ行えませんでしたが,清野佳紀先生(現 JCHO大阪病院名誉院長)に勉強会を開いていただいたりしました。

中村愛さん

私は中学1年生のときに脚の骨延長術を受けました。1990年のことですが,「つくしの会関西支部」では初めて,病院でもACHで骨延長術を受けたのは1人目か2人目だったと思います。私が受けた後,その病院では当時のつくしの会の子たち15人以上が続けて骨延長術を受けました。私はその後,高校生のときに上腕の骨延長術も受けました。

中村会長

私としては,娘が中学生の間に骨延長術を受けさせようと決めていました。中学生になると周りも身長が伸びてきて,背が低いことが目立ってきますし,体育や水泳や課外授業や部活なども大変になるだろうという思いがあって。「しよう」というよりも「しなければ」という感覚でした。子どもが小さい頃は,親のほうがいろいろ考えて焦ってしまうところがあります。当時は骨延長術しか治療法がありませんでしたので,ACHの患者・家族はみんなその情報を知りたがっていました。ですから病院に無理を言って骨延長術の記録をとらせていただき,その内容を会報に載せました。現在もつくしんぼでは,このように会員の皆さんが知りたいことや確認したいことなどに,できる限り応えていけるように努めています。

― 個別の相談にも対応されているのですか。

中村会長

はい。電話がかかってきたら長時間お話しすることがあり,それはネットで簡単に情報を得られる今でも事務局が対応しています。多く受ける相談は,どんな治療法があるのか,どこの病院へ行けばよいのか,身体障害者手帳は取得できるのか,発語や歩き始めが遅いけど大丈夫か,幼稚園や学校へ入るときに気を付けることはあるか,結婚や就職についてほかの方はどうされているのか,などですね。見た目が小さいですから,親としては心配になって,すぐに治療法は?薬は?となってしまいますけれど,本人の成長に任せていれば体がしっかりしてくるところもありますし,気持ちも育っていきますので,あまり焦らないようにとお伝えすることもあります。また,医学的なことに関しては,私たちの意見は入れないと決めていまして,必ず先生に相談してからお返事をするようにしています。

中村愛さん

事務局のほうに「近くに誰か同じ病気の子はいませんか」という相談もよくいただきます。昔のように連絡先を教えてつなげるということが難しくなってはいますが,双方の承諾を得てからつなげることで対応しています。悩みや経験談を分かち合えることはとても大切で,仲間がいるということは大きな支えになりますから。私も入院生活を共にした方々とはずっとつながっており,年を重ねるにつれて経験する体の不調や痛みについても,互いに共感し合えることが多くあります。

― 総会のお話が出ましたが,改めて活動内容について教えてください。

中村会長

毎年4~6月に総会を開催しています。総会では必ず医師による講演会を行い,常に新しい情報が得られる機会となるように心がけています。ご参加くださる先生は,小児科,整形外科,小児脳神経外科,小児神経内科,産科婦人科,歯科,耳鼻咽喉科,内科など多岐にわたり,いつからか複数の先生が自主的に参加されるようになっています。ですから,患者とその家族が情報交換をするほか,先生方に気軽に相談ができる機会にもなっています。総会が終わった後は先生のところに皆さん集まって,いろんな相談をして,なかなか帰らないですね(笑)。先生方との距離が近いことは当会の大きな魅力の1つだと思います。個別にどのような相談をされているのかはわかりませんが,先生方はすべて受け止めてくださっているようでありがたいです。大薗恵一先生(医誠会国際総合病院難病医療推進センター センター長)や松下雅樹先生(名古屋大学医学部附属病院整形外科 病院講師)は毎年来てくださって,つくしんぼを好きでいてくださるのだなと感じます。ご講演いただく先生方はほとんどがどなたかの先生からのご紹介で,特に大薗先生には多くの先生をご紹介くださいました。そうやってご縁がつながってきたことに感謝しています。また,医師だけにとどまらず,看護師や理学療法士や製薬会社の方々にも自主的にご参加いただいています。少しでも会にかかわってくださった先生には会報をお送りしており,その人数は40名を超えています。

つくしんぼ総会
写真つくしんぼ総会

(つくしんぼご提供)

中村愛さん

総会以外にも必ず交流会や勉強会,相談会などを行っています。交流会のなかでも印象深いのは,夏に琵琶湖でバーベキューをしたことです。スイカ割りをしたり,私の姉がジェットバイクに乗るので,子どもを乗せて遊んだり。大体20~30家族,多いときは70名ほどが集まりました。バーベキューコンロやお肉や野菜,スイカや飲み物も役員で用意していました。

中村会長

何度か宿泊行事も行いました。1泊して両日とも別の先生による講演会を開いたこともありました。泊りがけになると遅くまでおしゃべりをしますから,自然と年代別に分かれて,幼稚園や学校のこと,時には恋愛の話をすることもあったでしょう。これまでに東京,神奈川,名古屋,滋賀,京都,兵庫,岡山,広島,福岡,鹿児島でイベントを開催しました。総会でも交流会でも,特に出産して間もない方は,最初は悲壮な顔で参加されますが,帰りにはなんとなく穏やかな顔つきになって帰られます。子どもたちの可愛い姿,たくましい姿を見ることで,励みになったり,親御さんやごきょうだいの学びになったりすることもあるのかなと思います。

― 医療従事者に期待することをお聞かせください。

中村会長

大薗先生はさまざまな診療科の先生と連携がとれていますが,他の先生方もそうであってほしいと思います。実際につながりがなくても,ご自身の専門だけにおさまらずに,必要があれば他の科を紹介いただくような広い視野をもっていただきたいです。また,地域によって患者の望む診療が受けられないという地域格差がなくなることを望みます。2019年に『軟骨無形成症診療ガイドライン』が作成されましたので,ACHに詳しい医師がいない地域でも,このガイドラインを先生方が読んで,親身になって対応してくださることを期待しています。ガイドライン作成の際は私たちも協力させていただいております。特にACHに合併症があるということを認識していただくことが重要だと思います。

中村愛さん

患者の数年後,数十年後を見据えた診療をしていただきたいです。幼いうちでも合併症が起こる場合もありますが,年を重ねると発症率は高くなります。特に脊柱管狭窄が生じた場合は,痺れや痛みのつらさだけではなく,歩けなくなるのではないか,脚や体幹が悪くなったときに短い腕や弱い握力でどうやって支えればよいのかといった心配があります。そのほか,ACHは命にかかわらない低身長の病気という認識が強く,社会的に十分な援助が受けられていない方もいます。身体障害者手帳の申請も医師の捉え方に違いがあるのも問題であり,ACHへの理解が進むことを願います。

― つくしんぼの今後についてお聞かせください。

中村会長

つくしんぼの活動の根幹には,ACHの根治療法を確立させるためには患者自身が動かなければならないという思いがあります。そのためにも患者や家族同士で情報交換を行い,実際にどのような困りごとがあるのか,何が必要かということを明らかにするとともに,医療関係者や福祉関係者,製薬会社などとの連携を積極的に図ってきました。調査会社に協力したり,署名活動などで政府への働きかけを行ったこともあります。また,多くの先生方が長年にわたりつくしんぼに寄り添ってくださっており,お互いに励まし合い協力してきたことが,今ある治療薬の完成につながったといってもよいと思っています。その結果,治療法を選べるような時代に入ったことは大変喜ばしいことです。患者・家族にはそれぞれの生活があります。役員はかなりの時間や労力を患者会の活動に費やしてきました。そうしたなかで患者会の活動を継続していくことはとても大変ですが,患者会の存在はときに人々や国を動かします。これまで長年にわたり同じ役員が活動を続けてきましたが,そろそろ世代交代の時期に差し掛かっています。この活動を次の世代にうまく引き継いでいければと思います。

受けとった恩を返したい

軟骨無形成症と骨疾患低身長者の会
つくしんぼ
事務局 村上 美弥子さん

息子の出産を間近に控えた頃,担当医に「軟骨無形成症(ACH)かもしれない」と言われ,初めてこの病気を知りました。私は不安が募らないよう出産まで病気について考えないようにし,夫が病気やつくしんぼのことを調べてくれました。2003年12月に息子を出産し,2004年の春につくしんぼの総会に参加して入会しました。私が現在,事務局の仕事をしているのは,産後すぐの不安なときに会長や当時の事務局の方,先輩会員の皆さんに助けていただいたからです。同じことを今,不安を抱えている患者さんやご家族に返したいという思いで活動しています。

患者会の役割は,病院や施設ではなかなか聞けない,ささいな日常の不安や疑問への対処法,そして治療に関する情報を,ご支援くださる先生方や先輩会員の皆様からつなげて,伝えるところにあります。また,病院や施設,保育園,幼稚園,学校など,日々の困り事を垣根なく相談にのれるところも患者会ならではだと思います。さらに,愚痴を話しても共感してもらえる場としての役割も果たしたいと考えています。会員の方からはほかの患者さんがどのような治療をいつどこで受けておられるのかという質問が多く寄せられます。また,治療に不具合があった場合にどうすればよいのかということに対し,特に不安が強いように感じます。私の息子も骨延長時にできた瘢痕で皮膚が骨に癒着し,何かに当たると出血しやすい部分があり,これを治療してくれる医師に出会えずに困っています。この病気は治療結果に個々の違いが大きく出ることが多く,そのぶん患者の不安が大きくなるようです。

今後については,日本全国どこでも同様の治療が受けられるとうれしいです。それが難しい場合でも,どこでどのような治療が受けられるのかを可視化したシステムが構築され,患者が治療を選べるようになるとありがたいです。また,医療や福祉の制度が難病患者に優しくあってほしいと思います。指定難病の受給者証はACHというだけでは発行されませんし,身体障害者手帳の交付も担当医師の考え方に大きく左右されるというのが現状です。そもそも障害者手帳交付の基準についてもかなり疑問があります。財源が厳しいのは承知のうえですが,より良い制度設計がなされることを願います。息子はときどき,「治る時代がきたらいいなぁ」と言います。さらなる医療の進歩を期待するとともに,家族会もそれに寄り添っていきたいと思います。

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